
開催期間 : 2025年11月21日(金)〜11月27日(木)
開催場所 : 札幌市モエレ沼公園ガラスのピラミッド スペース1
開館時間 9:00〜17:00
入場料:無料
◎トークイベント : 2025年11月27日(木) 無料
後藤繁雄(京都芸術大学大学院教授)、楓月まなみ(造形作家)、Parera(現代美術家)、長原啓子(染色家)
写真性の拡張 _写真はこれまで、銀塩や記録性といった「視覚の表層」に縛られてきました。しかし、デジタル化やSNSが進み、世界が分断と二元論に覆われる今、写真には新たな意味と役割が求められています。 本展は、「写真とは何か」という問いを出発点に、平面やカメラという枠を超え、見えるものと見えないもののあいだをつなぐ表現として、写真の可能性を再発見する試みです。 3人のアーティストが提案するのは、感覚と思考を揺さぶる写真のあり方。 視ることの本質を問い直し、写真の未来を開くための実験が、モエレ沼公園という空間で静かに始まります。
参加アーティスト
楓月まなみ: 《静観 × 慧眼》― 記憶に触れ、感覚を解き放つ ―
現代において、私たちの思考は加速し、感覚は切り離されがちです。静かに見つめ、深く感じることにより忘れかけていた感覚が呼び覚まされます。北海道・モエレ沼公園のガラスのピラミッドという、自然と人工が交錯する静謐な空間を舞台に、見ること、聞くこと、触れること、そして香りによって、かつての記憶がそっと立ち上がってきます。私たちの五感は、いまここにある現実を超えて、風景の奥にひそむ「とき」や「気配」までも知覚します。日本には、自然と共に思索し、感性を深めてきた独自の文化があります。
「花鳥風月」に見る自然との対話、「庭園文化」に宿る空間と時間の共同作業、「香り文化」が育んできた、目に見えないものへの気づき——これらの伝統は、私たちの感覚を拡張し、見えるものの背後にある「目に見えない真実」へと導きます。本展のHokkaido Photo Festaのテーマでもある写真というメディアを超え、「写真性の拡張」へと向かうために、世界の在りようをそのまま受け止める姿勢―「静観」とその奥にひそむ真理を見出すまなざし―「慧眼」が必要です。それは、ただの鑑賞ではなく、自らの記憶と感覚とが交錯する、内的な旅でもあるのです。
あなたは、世界をどのように“感じ”、どのように“見て”いるのか。静けさのなかに潜む豊かさと、過去と未来の感覚が交差するその瞬間、あなたの五感は、再び目を覚まし、あなた自身の何かを慧眼させるでしょう。
名古屋市生まれ/グラフィックデザイナーとして11年間活動
2015年 京都造形芸術大学 通信教育部 芸術学部芸術教養学科 卒業
2016年 抽象画制作始める/奎星会 無鑑査会員(前衛書)
2022年 新北海道美術協会 会員 / 2025年毎日書道会 会友
受賞歴
2014年 第63回 奎星展 特選賞(東京都美術館)/ 2015年 第64回奎星展 奎星賞(東京都美術館)
2019年 第64回 新道展 協会賞(札幌市民ギャラリー)
2020年 第21回 日本・フランス現代美術世界展推薦部門 協賛賞クサカベ賞(国立新美術館)
グループ展
2021年 日本・フランス現代美術世界展 ロング作品部門(国立新美術館)8月5日~15日 Fregments2022(GalleryArtPoint)2月28日~3月5日
2023年 BIBAIでアート&京都芸術大学教員とOB展(ギャラリー門馬)7月16日~30日
2024年 イメージのトランディション展(ギャラリーカフェ茶廊法邑)5月29日~6月3日
2025年 NewPoint vol.22(さいとうギャラリー)1月14日~19日
個 展
2022年 「plus-art...x volume.18 」(クロスホテル札幌 レストラン・アッシュ)9月2~11月30日「ときめきをときはなして」(カフェ+ギャラリー・オマージュ)11月2日~7日
2023年 「色音爛漫」(ギャラリーカフェ茶廊法邑)4月1日~9日 “Manami Fugetsu EXHIBITION”(SIP+CO : New York )6月20日~2024年 「空より花咲きいでて、一条の光」(アートホール東洲館)5月2日~15日

Parera : 《OSMOSE》 ー境界を溶かし、静かにたゆたうー
AIやテクノロジーの進化により、写真は「世界を写しとるもの」から、「世界を生成する もの」へと変わりつつある。もはや写真は、経験や事実をただ記録するだけのものではな くなった。私にとって写真とは、実在と光のあいだに浮かぶメディアであり、言葉よりも 直接的に、しかし言葉にはできない情報を伝える存在だ。 今回インタレーション《OSMOSE》(相互浸透)では、その写真という枠組みを外し、形を 溶かし、実在と光の境界を解き放っつことを試みる。像は薄れ、光へと変わり、やがて消 えていく。この、実在から消えゆく光へのグラデーションこそが、私にとって「浸透」と いう意味そのものである。 空間には、色や光、音といった様々な波動が流れている。その波動と鑑賞者の波動は、互 いに溶け合い、浸透し合う。人間の身体が持つ感覚は、それを読み取り、そこに「見えな い世界」を感じ取るのではないだろうか。それは、絶対にAIにはできない営みだ。その 「見えない世界」は、鑑賞者それぞれの感性や経験が織りなし、立ち上がってくる世界だ。 そして、鑑賞者から発せられる波動は、その空間にも静かに浸透していく。 そうやって世界は相互に浸透し、作用し合いながら形づくられているのだと、私は思う。
長原啓子 : 《存在は幻想である》
幼いころ、スズムシを飼っていた。その記憶が、私の宇宙観に影響している。スズムシたちにとっては、ガラスの容器内が全宇宙。じっと眺めていると、私も彼らの宇宙に入りこみたい衝動にかられた。同時に、私たちをムシのように見下ろす長大な目の視線も頭上に感じた。ミクロの方向に目を転じれば、電子や陽子などで構成される無数のメタ宇宙がある──時空は終わりのない「入れ籠」構造になっているではないか──その思考は、孤独と虚無をもたらし、「存在は幻想ではないか」と疑った。 HPF2025の統一テーマは『見えない世界を視る。』で、久々にこの空想に立ち帰ることにした。モエレ沼公園ガラスのピラミッドで開催という「場の力」も借りて、レディメイドを取り入れながら、宇宙の幻想を染め布で表してみる。